中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

舞台「狐晴明九尾狩」感想文【ラストについて考える】※ネタバレ有

こんにちは!
本日は、中村倫也さん主演舞台「狐晴明九尾狩」の感想を書きたいと思います。私は今回が舞台自体が初観劇だったので、色々至らない点もあるかと存じますがお手柔らかに宜しくお願い申し上げます。


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私は幸運なことに初日に行くことができました。

そしてライビュが行われた本日10/6も現地で見てきました。

この2回の観劇と戯曲本を読みまして、主にストーリーについての感想をまとめていきたいと思います。

初日直後の主に出演者にフォーカスした感想はふせったーにまとめてますので、よろしければそちらもどーぞ。


さてさて、ここから本題に入ります。
ネタバレがゴリゴリに含まれますので、ご注意ください。
以下の3つのテーマに分けて書きます。



  1. パイフーシェン側の事情
  2. 晴明と”利風”の知恵比べ
  3. 最後の晴明のセリフ



1.パイフーシェン側の事情


まずは悪者側のパイフーシェンから書きます。この九尾の狐のパイの設定は、「分断」が色濃くなってきてしまっている現代においては、私たちにわかりやすく考えさせるものになってたなぁと思いました。

狐達にとっては人間は敵。だから殺られる前に殺ってしまおう。まぁざっくり言うとこういう主張ですよね。

大陸での狐たちへの扱いは深く描かれるものではないけど、どんな扱いを受けてきたのかは想像にかたくない。フーリン族への扱いではなく、妖全般への扱いが酷かったのかもしれない。それはきっと大陸だけではなく、日の本でも同じこと。
ただ人間と一括りに言っても、大陸にだってきっと晴明のようなフラットな人間も居ただろうし、酷い扱いをする人間も居たことでしょう。

でも狐の憎悪の目は酷い扱いをしたとある人間にではなく、「人間」と一括りにしたものへと向いてしまう。
パイが冥界に封印される前の彼のセリフが印象的でした。

結局お前は人を救うために妖かしを切り捨てた。それがお前が望む誰もが安らかに暮らす都か。笑わせるな!狐の子などと言ってはいるが、しょせん貴様も人間。人の世のことしか考えていない。タオ、ラン、よく見ておけ。あれがお前を殺した男の顔だ。

(出典:狐晴明九尾狩 中島かずき 論創社 P178)

これはどこの世界でもどの時代でもきっと同じことで、たった1人の人の過ちだったとしても、その人の属するコミュニティ、地域、国、人種全ての人への恨みや憎悪に繋がることもある。

まぁ少し考えればわかることではあるんだけど、この舞台ではそれをより考えさせやすい構図になってるなって思ったんです。

何故かと言うと、パイが私たちの前に登場する時の姿が利風である、つまり向井理が演じるからです。

同じ人間の姿であり、晴明と対等にバチバチの頭脳戦をやり続ける。(ここについては次に詳しく書きます。)
そしてそれを演じるのは、あのおさむっち。彼の風貌から、ランフーリンのように何故か彼に同調したくなってしまうよくわからない感情が生まれる気もしなくはない。笑
パイが利風の身体の中に入り込んでいるというこの設定はとても良いなぁ、と思いました。


でも1番好きなのはパイフーシェンとタオフーリンが昔付き合ってた設定ですかね。笑


2.晴明と”利風” の知恵比べ


1回目の観劇の途中から、少し疑問に思っていたことがありました。大陸から帰ってきた利風の正体に誰よりも早く気づいていた晴明が、パイフーシェンと呼ばずに利風と呼び続けていたことにです。(最後の方に1回だけパイフーシェンと呼びますがそれ以外は、利風と呼んでいた。)


ちょっと話はそれますが、利風の正体に晴明が確信を持って気づいたシーンが私はとても好きでした。
大陸から帰ってきた利風との別れ際に「及ばずながらな」と言って反応を見たあとの晴明の表情や動き。うまく説明しきらないですが、あぁ晴明はここでなにかに気づいたのだなとわからせる動き。このあと式神を宮中に放ちますしね。
そしてここから少し後、利風が大陸に発つ前の過去シーンに時が戻り、利風の前で初めて「及ばずながらな」と言う。すぐにこうやってきちんと答え合わせをしてくれるわかりやすさもいいですし、この短いシーンで晴明と利風のお互いの性格や二人の関係性をバチッと説明しきるのがすごい。このシーンがわかりやすいからこそ、終盤の利風の最期がより美しく感じるのだろうな、とも思います。


さて、話は戻って。笑
タオフーリンやランフーリンは当然彼のことをパイフーシェンと最初から呼んでいますが、なぜ晴明は利風の正体に気づいても呼び名を変えなかったのか。それをずっと不思議に思っていました。

でも最後にその理由がきちんと明かされましたよね。晴明が戦っていたのはずっと、パイではなく”利風”だったのだと。これは「僕と利風の知恵比べ」なのだと。(中盤にも「僕と利風の知恵比べ」というセリフはありましたが、この時にはちゃんと意味がわかっていなかった。)

このセリフを聞いた時に、晴明!!すげーーー!!!と思ったのも確かですが、利風の先を見通す力の凄さと晴明へのとてつもない信頼の厚さに、今このブログの文章を書きながら、なんか泣きそうになりました。

何考えてるかよくわからないけど、実は内には熱いものを秘めているという倫也さん自身のパーソナル的な要素が、晴明がこの戦いにかけていた真の思い(つまり利風が自分に託してくれたものに応えなければならないという思い)が明らかになったこの瞬間にピッタリ重なるようにも思えて、当て書きというのはここまで当て書くのか(日本語合ってる?笑)と、舞台を見終わってあとから考えれば考えるほどに感動を覚えました。(観劇中、1回目は特に、目の前に推しがいるという興奮で、深いところまで物語を追いきれていなかった模様。笑)


先ほど述べた、利風が大陸に渡る前の二人のやりとりを振り返ると、兄弟以上の仲と周りが評するだけに二人のお互いへの依存度はかなり高かった様に感じました。だからこそ利風は自分は大陸に渡ってより立派にならなければならないと思ったのだろうし、利風がいなくなるからこそ晴明は「及ばずながらな」という一歩引いた態度を改められたのだと思います。

私はパイに利風が殺されずに大陸から帰ってきた世界線の物語が見たいぞ、、、
こういう最強コンビの篤い友情が生む物語って最高ですよね……。ほんと尊いわーーー。(慎二ボイス)



3.最後の晴明のセリフ


最後の晴明のセリフは、「そうか、泣いたのか、僕が…」でした。
この時、感情をパイに奪われた晴明が流した涙。これはどういうことだったのだろうかーー。

このセリフも前半と同じものが繰り返されたものでした。このセリフが前半に発せられたのは、大陸から帰ってきた利風(パイ)と会い、「及ばずながらな」に対する反応で利風ではないことを確信し、大陸に発つ前の利風との会話を思い出しながら、利風の正体が九尾の狐だということは彼は既に倒されたのだということも確信して、気付かぬうちに涙を流していたことを式神達に指摘され、発せられたセリフでした。

自分の感情と身体というのはコントロールできるものではないということを表したかったのか、この時晴明は無意識のうちに泣いている。そしてこのシーンでは大陸に発つ前の利風とのやりとりを思い出して泣いていた。

では、最後のシーンに話を戻して。
なぜ晴明は感情を無くしても涙を流したのだろうか。これについては、初日に観劇を終えて、戯曲本も読んで、本日2回目の観劇を終えてからも、ずーーーっと考えているのですが、うまく説明ができません。ほんとなんでなんでしょうね。

最後、涙を流すきっかけとなったのは、星が流れるのを見たから。陰陽道では、星の動きを見て吉兆を占います。陰陽道ってよく知らんのだけど、そうだよね?三国志諸葛孔明が星読んで人の生死を知っていたのも陰陽五行説だった気がするからそう思った。)
星が流れる、つまり星が堕ちるのは誰かの死の知らせ。パイを倒した直後だったので、この流れ星は利風の魂が真に死んだことを表した流れ星だった、と晴明は感じ取ったのかな、と思いました。
(もしかしたらこの流れ星は晴明の感情がなくなったことを表していたのかもしれない。)

はい、ここまではいいんです。でも晴明は感情を無くしている。利風がもういなくなった、利風と戦えなくなったことを改めて理解しても悲しみは無いはず。
ここで改めて前半で流した涙を思い出すと、この時晴明は利風との思い出から泣いている。ということはラストも記憶だけで泣いているのだろうか。んーーー、なんだかそれではスッキリしません。
次に考えたのが、身体の記憶。ちょうどドラマ「岸辺露伴は動かない」でのDNAでの倫也さんが演じた太郎が心臓移植により元々の心臓の持ち主の記憶が身体に宿るように、晴明に残された身体の記憶が喜怒哀楽を表現しているのか。んーーー、いや、なんか違うな。

戯曲本を読むと、晴明自身も涙を流した意味を考えて、でも得心している。そう、晴明自身は涙を流したことに納得している。んーーー。


色々試みても、結局うまく説明しきらないですが、、
まあ、利風のことになると、自分をうまくコントロールできない、というところに落ち着くのかな、と思います。利風とのきっと数々あるたくさんの思い出や、それこそ身体に記憶として染み付いたものが、晴明に涙を流させた。
前半の涙も自分でも意図しないものだったのだからこそ、ラストの涙も晴明からしたらそんなに疑問に感じなかったのかもしれない。

感情を奪ったパイに対して、晴明があの男は何も分かっていなかった、と言っていたのも、人の心や感情はそう簡単なものではないんだぞ、という意味だったのかもしれないな、とも思います。

どんだけ考えても、ばっちりハマる解釈に全然ならないので、この辺で終わりにさせていただきますが、今回のお話はめちゃくちゃわかりやすいのに、考えさせることもたくさんあって、特にこのラストなんかは、初見の時から、言葉を失わせる感情にさせてくるラストで、本当にすごいお話だったなーと思います。

こういったお話のど真ん中に立っているのが、私の推しである中村倫也さんであることがとても嬉しくて嬉しくて。
そして、初日観劇後のふせったーにも書きましたが、何より、中村倫也は舞台の上でこそ最高に輝く役者であり、彼が舞台について語ってきた今までの数々の言葉がよーやく私の実感として腹落ちしていく感覚があり、舞台の上での中村倫也をもっともっと見たい、と確実に思わされました。


狐晴明九尾狩!最高な舞台でした!!!ありがとうございました!!!!
千穐楽まで、どーか無事に駆け抜けられますように。


2021年11月6日追記。大阪での2回の観劇を受けて、新たに感想文書きました。よろしければこちらもどーぞ。

seeen-tomoya.hatenablog.com

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~~あとがき的なやつ~~

はい。書きました感想文。いかがでしたでしょうか。舞台って、現場って、やべーんだねほんと。

前々からこちらのブログにも書いている様に、倫也さんを好きになるまでは役者に興味の無い人生を送ってきた、つまり舞台なぞにはもっと興味のない人生を送ってきた私ですが、倫也さんのおかげで舞台を見に行くきっかけができたし、倫也さんのおかげで舞台の素晴らしさを知ることができました。

こんなに素晴らしい世界を教えてくれた、中村倫也さんには感謝してもしきれないし、ずっとずっと大好きです。