中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

祝!ブログ開設21ヶ月【文章を書くことの意味】

こんにちは!
今回は毎月恒例の1ヶ月振り返り記事です。
もう21ヶ月目だそうで、いつもお読みいただいている方ありがとうございます。本日は、最近改めてじっくりと読んでみた中村倫也さん著「THE やんごとなき雑談」も絡めながら、「文章」について書いていこうと思います。
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さて、本日のテーマは

祝!ブログ開設21ヶ月!【文章を書くことの意味】

です!

先月の振り返り記事はこちら。
seeen-tomoya.hatenablog.com

今月の振り返りは8/16~9/13までです。
(先月の振り返り記事あげるのが遅れてしまったので、今月は期間が短いです。)

書いた記事は本日入れて2本(総数110本)
PV数は本日0時時点で10008(総数166236)
読者数は現在167人。


ということで、本日の副題は【文章を書くことの意味】

ふとしたことをきっかけに、先日から中村倫也さんのエッセイ「THE やんごとなき雑談」の中で、私が特に印象に残った文章を書き留めるということをしておりました。


こちらの行為をする中で、倫也さんのエッセイから改めて受け取ったこと、私自身が文章を書くときに考えていることを本日は書きます。

seeen-tomoya.hatenablog.com
先日、こちらの感想文でも書きましたが、映画「ドライブ・マイ・カー」を観てきました。(いきなり全然違う話から始めるんかい!)
この映画から一番受け取ったことは「自己を知る」ということについて。
そして倫也さんのエッセイから受け取ったことで最も大きいことも「自分のことを考える」ということでした。

これを考えるにあたり、言葉を書き留める中で、印象的だったことをまずは引用します。

肩の力を抜いて等身大の言葉を並べたい。上辺の透き通った水だけじゃなく、底に沈澱するヘドロもすくい上げるような文章を書きたい。

(出典:「THE やんごとなき雑談」自意識の塊、夜の空を飛ぶ。 P22 株式会社KADOKAWA

丁度よく筆の進む面白いエピソードにはほとんど出合えないから、毎回自問して心の中の深いところまで潜っていき、光の届かない場所に生息するグロテスクな“自分“という生き物の細部まで観察しなくてはならない。

(出典:「THE やんごとなき雑談」やんごとなき者たちへ P180 株式会社KADOKAWA

そういえばこの文章書き出して気づいたのですが、“出会う“ではなく“出合う“って書いてありますね。ネットで調べましたが、違いがよくわからず。笑
記者ハン(記者ハンドブックの略)引っ張り出してくれば何か書いてあるのかしら…実家に眠ってるけど…笑
まぁどちらにしろ私は校閲班とかによくチェックされてしまっていた側の人間なので、普段のブログも表記の統一はあまり意識していないし、漢字を平仮名にひらくかどうか等もあまり意識していないです。ただの趣味でそこまでするの面倒ですし…


最初に引用したものは連載初回、そして次に引用したものは連載最終回の文章。購入直後の何となく読んでいた時は読み飛ばしていましたが、連載の最初から最後までは2年以上経っていながらも同じことを書いていて、この軸がブレないところが、私が倫也さんの好きなところだし、尊敬するところの一つです。

ドライブ・マイ・カーを観ていても感じていたことですが、自分自身と向き合うことは非常に厄介な行為。それはなぜか。
中途半端に自分のことをわかっているからこそ、より自分と見つめ合おうと奥に進んでいくと、醜い、“グロテスクな“、自分が顔を出してきて、自分が嫌いになったり、これ以上見たくないと蓋をしたりするからではないかと思います。

さらに言えば、引用した部分はきっと倫也さんがこのエッセイを書く上での、軸の一つだったのだろうと想像しますが、読んだ文章の中に“ヘドロ“や“グロテスク“さのような暗さや醜さみたいなものを感じることは当然ありません。それはなぜでしょうか。



エッセイを改めてじっくり読んで、私が感じたのは、ご自身でもおっしゃるように、やはり倫也さんがひたすら思考を繰り返す人なんだな、ということです。

倫也さんが何かに落ち込んだ時や、壁に当たりそうになった時に、どうやって思考が流れて、どういった結論を導き出したのか、ということがこのエッセイには書いてあります。だからこそ、このエッセイを読むと背中をそっと押してもらえるような感覚が生まれるのだろうとも思います。

倫也さんのエッセイの良いところは、この「思考の流れ」にあるのではないか、とこれを書きながら思い始めました。
これについてはどの回も基本的には「思考の流れ」が書いてあるので、どれを引用するか迷いますが、特にわかりやすいかなとこちらを。

あんなに好きだったものを自分で手放したことがすごくショックで、世界が空っぽになった気がして、そんな自分に強い嫌悪感と劣等感を抱いた。
そうした経験から「次に好きになったものは簡単に手放しちゃいけない」と強く心に決めて今まで続けてこられたのが役者の仕事だったりもするのだが、とにかく、僕にとって本気とは挫折と隣り合わせで、楽しいだけの存在じゃない。本気になるということは、いつか壁に当たった時に楽しめなくなるというリスクもある、と考える。

(出典:「THE やんごとなき雑談」気楽 P100,101 株式会社KADOKAWA

当時の自分の気持ち、その気持ちから自分自身の性格を分析、その上で、自分は次からどうしていくべきなのか、この経験から自分は何を学んだのか、この経験はどんなことに応用できるのか。これらのことが、非常によくまとまって書いてあるのが、倫也さんのエッセイだと思います。



そして倫也さんの思考で特に好きなのが、この経験はどんなことに応用できるのか、という「応用力」です。最近読んだ本の言葉を借りると、“メタ思考“がものすごく優れている人だな、と思います。

それを特に感じた文章はこちら。私が特に好きな回のうちの一つです。

しかし今後テクノロジーがもっともっと進化して、普段から色んな場所の色んな声を聞くのが当たり前の時代が来たら、面識のない人も生身の人間なんだと感じ、お互いに「身近」な存在になれるかもしれない。そして今日のリモート取材のように相手の状態にアンテナを張って理解することができれば、攻撃せずに水場を分け合えるのかもしれない。テクノロジーにはそれだけの可能性がある。

(出典:「THE やんごとなき雑談」テクノロジーの一歩前 P151 株式会社KADOKAWA

リモート取材を初めて経験したことと、自然界における動物の姿を番組で見たことから、こういった思考の結果が生まれるのだな、とその思考の「応用力」にただただ感嘆しました。



ここまで倫也さんのエッセイのただの感想文になってしまっていますね。笑

さて、改めてやんごとの感想を文章にしてみて気づいたことですが、「文章に軸を持つこと」、「思考の流れを書くこと」、「経験を他のことに応用すること」、これら三つの私の感想は、結局私がブログを書く時に意識していることだなとも思います。


このブログを書き始めたのが2019年12月。
倫也さんのエッセイを読み始めたのはおそらく2019年4月号の連載くらいからでしょうか。
倫也さんのエッセイを読む行為が先にあって、自分も文章を書くということを始めて、倫也さんのエッセイの連載をさらに毎月楽しみに読んでいました。自分がブログを始めてからは、より倫也さんの文章からたくさんのものを受け取ろうとしていたので、無意識に思考を真似しようとしていたのかもしれません。笑

もう倫也さんの最新の文章を読める機会がなくなってしまったのが、いまだに寂しいなと思っているところではありますが、これからもやんごとの様な素晴らしい文章を目指して頑張ります!!!

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~~あとがき的なやつ~~
「THE やんごとなき雑談」の感想を書こう書こうと言いながら、しっかりとしたものを書けていなかったので、少し間が空いてしまいましたが、今回書き記すことができて良かったです。倫也さんの思考がやっぱり大好き。
そして舞台の幕が上がる日まであと4日。どうか無事に幕が上がりますように。そして大千穐楽まで無事に駆け抜けられますように。