中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

映画「ファーストラヴ」感想 ※ネタバレ有り

こんにちは!
本日は、2/11公開の映画「ファーストラヴ」の感想を書いていきたいと思います。
日舞台挨拶のクリック戦争に勝利して初めて舞台挨拶というものに参加することもできましたし、内容も私にとってはものすごく考えさせられるような作品でもあり、大事な大事な映画になったなと思います。


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まずは映画の概要から。

【あらすじ】
女子アナウンサー志望の女子大生が、父親を包丁で刺殺する事件が発生するーー。公認心理士として活躍する真壁由紀(北川景子)は、容疑者となった聖山環菜(芳根京子)に興味を持ち、取材をすることに。担当弁護士の元に赴くと、そこには庵野迦葉(中村倫也)、由紀の義弟がいた。環菜と面会をしていくうちに彼女の内面に抱える傷が浮き彫りとなっていくが、それが自分自身の抱える傷と重なっていく由紀。何故、環菜は父親を殺さなければならなかったのかーー。


映画『ファーストラヴ』予告編【2021年2月11日(木祝)公開】


【出演者】

真壁由紀/北川景子
庵野迦葉/中村倫也
聖山環菜/芳根京子
真壁我聞/窪塚洋介


【監督】
堤幸彦


では本題に入っていきます。

以下の3つのテーマで書いていこうと思います。ちなみに原作は未読です。ネタバレはありです。



  1. 由紀と環菜
  2. 由紀と迦葉
  3. 負の連鎖



1.由紀と環菜

物語の冒頭で由紀の日常が示されました。ラジオ番組でのコメンテーター、書籍の出版、カウンセリング、バリバリと働く様子が画面に映し出され、家には料理を作って待っていてくれる、我聞という素晴らしい夫もいる。

周りから見れば、羨むような人生を送っていて、由紀の内面に何かあるなどと思う人は周りには恐らくほとんどいないのでしょう。

しかし、迦葉との絡みでの無理をした感じや、家に帰る直前や家の中で時折見せる気合を入れるような仕草は、常に気を張りながら頑張って鎧をつけて生きてきた由紀の姿が想像される。

そんな由紀が、面会室の中で環菜と対面した時、自分の封印してきた幼い頃の記憶が蘇り、環菜に投影されていく。
面会室はアクリル板越しのため、自分の顔が少し映る。二人の面会室のシーンは複数ありましたが、シーン毎に、二人を捉えるカメラの角度が変わり、時間帯も違うのか光の差し込み方も変わり、由紀と環菜の顔がぴったり重なるシーンは、わかりやすい演出でありながらも、だからこそとても印象に残るシーンに感じました。


由紀と環菜が幼い頃に親たちから受けたものは、内容は少し違いながらも、一番大きかったのは「目線」への恐怖。
その「見られる」ことへの恐怖が根底にありながらも、それをきっかけとした、女性は我慢をすべき、口答えをしてはいけない、受け入れなくてはいけないといった、歴史的に女性に付けられてきた【口枷】もある。

二人が子供の頃に負わされたことと同じ経験をしている人は少ないかもしれないけれども、女性が歴史的に強いられてきたこの【口枷】に関しては、この映画を見て、共感した人や、改めて自覚した人も多かったのではないでしょうか。
少なくとも私は共感を覚えて、辛くなりました。


由紀は環菜と似たような経験をしたけれども、迦葉や我聞と出会ったこと(圧倒的に我聞に拠るところが大きいと思うけど)が彼女を支えていて、でも一歩間違えば環菜と同じ状況になっていたかもしれない、アクリル板の向こうにいたのは私だったかもしれない。(こちら側と向こう側には見た目の違いはないからこそ、二人が重なった時に余計にそう感じる)

そういった想いから、由紀は環菜への執着を強めていく。

一方で由紀がいくら支えられていたとしても、彼女の心の傷は、きっと割れたガラスのコップをセロテープで何重にもして繋ぎ止めた上で、大事に食器棚に鍵を閉めてしまっていただけのようなものだったのかなと。

でも、環菜に対して心を開くために、その不安定なガラスのコップを取り出してしまった。


由紀はそのまま迦葉と口論になって、過呼吸になって、トラックに轢かれそうになってしまうのだけれども、そうやってコップを取り出して、我聞にも見せられたからこそ、セロテープではなく、強力な接着剤でくっつけられる機会が生まれたのだろうな、とも感じました。


由紀は環菜を救い出すために自分がやれることを精一杯やっただけかもしれないけれども、それが結果的に自分の心の傷とも向き合うきっかけにもなって、前に進む。
とても重いテーマの作品ではあったけど、暗くなりすぎずに温かい気持ちで映画館を出られる終わり方だったなと思います。



2.由紀と迦葉

この映画のタイトルでもある「ファーストラヴ」。英語であることも影響して色んな解釈ができるし、私自身も色んな意味が内包されていたなぁと思いますが、「初恋」という日本語訳で単純に捉えるのであれば、それは由紀と迦葉のことだったのかなと思います。

由紀と迦葉が出会った、大学の時のシーン。
学内で由紀をナンパして、飲み屋に連れて行って、自分の暗い過去を吐露して、髪もっと短い方がいいよと言って髪を切る。迦葉ってなんだか危険な香りのする男ですよね。笑

でも二人のバスでの小旅行のシーンは、幸せそうなデートでもあり、微笑ましい気持ちにもなる。
かと思ったら、終バスをあえて逃してホテルに泊まるまでの流れでやっぱり危険な男に戻させる。

ホテルの部屋でも自分の弱さをさらに見せて、そのまま行為に及ぼうとする迦葉。

由紀は自分と似た痛みを抱えた迦葉に惹かれていたのは確かだろうし、キスに応じる。
迦葉も由紀に対して、今までの人とは違うように惹かれていたのも確かだったのでしょう。

でも迦葉が、由紀に出会ってから行為に及ぼうとするまでの流れは、たぶん他の女性に対してしてきたことと同じ流れだったのかなとも思いました。

迦葉は自分の弱さになっている部分を吐露することで、ある種女性からの同情を誘い、優しく包み込んでくれる女性と関係を持つことで、心の安寧を保ってきたのかな、と経験人数が二桁…の件で思いました。(原作読んでないからわかんないけど。でもとりあえずあの法律事務所の秘書みたいな人と絶対関係持ってるよね?笑)


迦葉はきっと女性との関係の進め方をそれしか知らなかったのだろうし、そうしていかないと生きていけなかった。
でも初めて特別に感じた相手にも同じことをしてしまい、しかもその相手があろうことか、傷を抱える由紀だった。

この一件は、由紀にとってはさらにトラウマを植え付ける出来事だったのは間違いないけれども、迦葉にとっても相当トラウマな出来事になったことでしょう。
なんとかこうやって折り合いをつけて生きてきたことを、セックス依存症だと真正面から言われたら、そりゃ壁も壊しますよね。


倫也さんの言う、下心と真心。中々難しいですよね。


息の合う二人だったはずなのに、決定的な衝突をしてしまって男女の関係にはなれなかった。

この直後に由紀は我聞と出会えたけれども、その後の迦葉はどうだったのだろうか、それがとっても気になりました。


感想文での話は現代に戻って、由紀と我聞の病室での会話を外で聞く迦葉。
ここで、迦葉の思いの断片を我聞から聞く由紀。迦葉は最後まで聞かずに、その場を立ち去ってしまう。

迦葉にとって由紀は恋愛じゃないけど、特別ってどういうことだったんだろう、と素直に疑問に思っていましたが、ラストにちゃんと答えが示されましたね。
由紀に自分の母親の面影を重ねていたこと、そして家族になれてよかったと話す迦葉の顔はとっても印象的で、それに答えながらしっかりと迦葉の顔をじっと見つめる由紀もとても好きでした。

迦葉にも素敵な女性が現れますように。


(このシーンで、「さすが兄貴」「でしょ?」とお互いに我聞を自慢し合う二人の関係性がとても好きでした。我聞、さすがだよね。笑)



3.負の連鎖

この映画を見終わって1日経って、改めて振り返って一番思ったことは【負の連鎖】です。

裁判後に、由紀が環菜の母親をトイレで見かけるシーンで、環菜の母親の手に環菜と同じ大量の傷を見てしまうのなんかはその最たるものだったと思います。


親から受けたことをトラウマとして、それぞれの登場人物は心に傷を抱えたまま生きてきたけれども、ここでは母親に絞って、そもそも母親たちはどういう人達だったのだろうか、ということを考えたいと思います。


環菜の母親である明菜は同棲していた人との間にできた子供を堕すように言われるが、その時、那雄人に君の子供なら可愛いから勿体無いと言われて、彼と結婚して彼の子供として育てることとなる。
まずこの言葉にものすごい嫌悪感を抱きますよね。子供にすら、何か性的なものを要求しているように感じる。この時点で、娘と確定していたのかどうかは定かではありませんが。
明菜は結婚して経済的には救われたのかもしれないけれども、結婚生活がどんなものだったのかは想像に難くありません。


由紀の母親である早苗は夫の衝撃的な裏切りにも、諦観を持っていて、それを娘にも強要する。由紀にとってはそんな母親は恐ろしかったけれども、早苗はそうやって割り切って夫を許さないといけない状況だったのでしょう。
社会的にも歴史的にも、もしかしたら経済的にも。


迦葉の母親は、物語の中では出てこないけれども、迦葉の生き方とどこか重なってしまう。
彼女が、男をとっかえひっかえして、子供を捨ててしまったのは、きっと求められることに極端に飢えていたからなのかなと想像します。(本当は子どもこそが一番、自分を求めてくれるはずの存在なんだけどね…)
そういった行動原理は、環菜とも少し重なるのですが、誰かに必要とされる、拒絶されないということが、とても大切なことになってしまい、その他全てのことはどうでも良くなってしまう。

迦葉の母親は、つまり我聞の母親の妹な訳ですが、同じ家庭で育って、なぜここまで差がついてしまったのか。
これは完全な推測に過ぎませんが、我聞の父親も、由紀にとっての我聞のような存在で、我聞の母親は負の連鎖から免れた人だったのかもしれません。


我聞が育った環境は、祐天寺に住んでいるという響きからもなんか幸せそうな匂いを感じる。笑
我聞自身は親からの愛情をいっぱい受けて育ったように見える。

その上で、写真展での写真や一瞬パソコン画面に映った「イラク」という文字から読み取るに、戦地や貧困地に赴く戦場カメラマンだったことが窺える。
どんな状況を掻い潜ってきたのかは、描かれない部分ではあるけれども、現代の我聞はとても懐の深い人間で、由紀を温かく包み込む。


迦葉は由紀に母親を重ねていた、と語っていたけれども、自分の母親にも我聞のような人がいてくれれば…という想いもあったのではないかな、と感じます。
環菜への取材で不安定になっていく由紀を陰ながら支えようとしたり、我聞に由紀をもっと支えるように求めたりという迦葉の由紀への感情は、母親からの愛情を得られなかったことで由紀に母親を投影させたというマザコン的な思考ではなくて、由紀が救われることが、自分の母親が救われることの代理になっていたのかもしれないな、と感じました。



我聞(もしかしたら我聞の父親も)を元にして、由紀や迦葉、そして環菜の負の連鎖は断ち切られようとしている。映画はそんな終わり方でした。


この作品の中では元凶のように感じられる母親たちも、実は負の鎖に繋ぎ止められていた、ということもちゃんと読み取られるような描き方をされていて、そういった点がこの作品での深さでもあるし、物事は多面的に見なければいけないという戒めでもあるし、我聞のように誰かを包み込める人でありたいという想いを持てる優しさでもあったな、と思います。



原作が持つパワーに拠るところがもしかしたら多かったのかもしれませんが(原作読んでないからわからない)、この映画は私にとってめちゃくちゃ大事な映画になったし、心に刻まれる映画になりました。



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〜〜あとがき的なやつ〜〜

最後くらい倫也さんのことだけに触れますかね。笑

この映画に出てくる迦葉という人物は、分かりづらい人物で、学生時代のシーンの終わり方は衝撃的でもありかなり悪い印象を倫也さん自身に与えかねない。

迦葉が経験してきたことを、自分は全然していないという倫也さんの発言にどこか安心するところがありながらも、倫也さんが迦葉にキャスティングされたことに私は嬉しさも覚えます。

この映画は男性の「目線」が一つ大きなテーマになっている中で、ホテルでの迦葉のあの目は、予告のラストにも使われるくらいめちゃくちゃ印象的で、本編で見ても本当に怖かったですよね。

あれは倫也さんだからこそなし得た演技だったとも思うし、現代における迦葉の分かりづらさも倫也さんだからこそだったな、と思います。


何かの記事に出てたけど、これアカデミー賞もんでしょ。
ほんと、いよいよ期待してもいいでしょうか???