中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

映画「サイレント・トーキョー」感想文 ※ネタバレあり

こんにちは!本日は、映画「サイレント・トーキョー」の感想文を書いていこうと思います。この映画を見終えた最初の印象は、これは反発する人は反発する映画だろうし、衝撃を受ける人は衝撃を受けるだろうし、どちらにしろ色んなことを考えさせる映画だなと思いました。
そのくらいリアリティがあって、現実との切り分けがしづらく感じるような作品だったなと思います。

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まずは映画の概要から。

【あらすじ】
舞台はクリスマスイブの東京。夫へのクリスマスプレゼントを恵比寿に買いに来た主婦の山口(石田ゆり子)は、サンドイッチを食べるために座ったベンチの下に爆弾が仕掛けられていたことをきっかけに、事件に巻き込まれていく。犯人の指示でテレビ局にタレコミをし、その取材に来たテレビ局の契約社員の来栖(井之脇海)とともに、犯人の指示通り動くことに。そして現場にはそれを遠巻きに眺める朝比奈(佐藤浩一)の姿があった。恵比寿での爆弾騒ぎの後、犯人から犯行声明が発される。それは渋谷のハチ公前広場を爆破するというものだったーー。

【出演者】

朝比奈仁/佐藤浩
山口アイコ/石田ゆり子
世田志乃夫/西島秀俊
須永基樹/中村倫也
高梨真奈美/広瀬アリス
来栖公太/井之脇海
泉大輝/勝地涼

【監督】
波多野貴文


では本題に入っていきます。

以下の4つのテーマで書いていこうと思います。

  1. 3つの計画
  2. ハチ公前広場での爆発
  3. 原作との相違点
  4. 正義とは
1.3つの計画

この作品は犯人が誰なのかということをミスリードさせるように、この事件の計画ではない部分で計画という単語が2つ出てきました。

一つ目が須永。
真奈美と綾乃(加弥乃)が須永と初めて出会ったと思われる合コンの場面。須永がここで田中という人物から受け取ったメールには計画をクリスマスイブに決行しようとありました。
これはかなり序盤のシーンなため、観客は須永に対してかなり怪しさを持って見ざるを得ません。

二つ目が突如出てくる訓練中の二人の自衛官のような人物。
ここでもクリスマスイブに計画を実行しようという話をしている。そしてそれをすれば最高のクリスマスになるとまで言っている。
このシーンの前に、世田と泉が参加していた捜査会議資料に、犯人が特殊工作員と疑われていたことを考えると、元自衛官が犯人ではないかという推測も容易にしてしまう。

結局この二つの計画は、事件のことを話していた訳ではなかったですが、ただのミスリードのためだけではなく、事件と全く関係ないわけでもありませんでしたね。

基本的には時系列を順に追っていきながらも、こうやってぱんぱんと重要そうなシーンに時間ごと飛ばされるから映画を追うことに必死になるし、どんどん映画に没入していきます。でもそれは正直疲れてしまうから、99分という時間に監督は収めようとしたのかな、と思いました。


2.ハチ公前広場での爆発

この映画の一番のターニングポイントはハチ公前広場の爆発を前にして、多くの人たちが集まるところから始まるシーンでしたね。
映画ではこれらの事件は全て24日の1日で起きるけれども、原作では22日からの3日間にかけて起こる。つまり原作ではハチ公前広場の爆発は23日に起こるわけです。
でも映画では、24日のクリスマスイブにハチ公前広場での爆発が起こる。
12月の23日と24日は1日違うだけでも、多分大きく違う点だと思います。原作ではたまたま渋谷駅周辺に集まってしまった人たちも描かれますが、映画では明らかに野次馬根性となんか盛り上がっているからというだけで集まった人たちで溢れる様子が描かれていました。

前者の場合、爆破予告があったからと訪れたわけではない人たちも大勢いたし、なぜ渋谷にいなきゃいけなかったかの背景も描かれていたけど、野次馬じゃないからといって、テレビでも、恐らくSNS上でもたいそうな話題になっていた渋谷に犯行予告の時間のちょうどその時にいた時点で、野次馬根性を持った人たちと感覚としては大した変わりはない気もします。この平和な日本で、まさか爆破テロなんてあるわけはないと思っているという点が、です。
ちょうど今年、各大学や公共施設などで爆破予告のいたずらが相次ぎましたが、あのニュースを見て、本当にその時間に爆発があるかもと思った人がどれだけいたでしょうか。少なくとも私は正直、あぁまたいたずらか…くらいにしか思っていませんでした。

後者の場合、映画の描き方としてはわかりやすいな、と思いました。事件の日をクリスマスイブ当日にしたことで、イベント感がより一層増し、渋谷にハロウィン当日や新年のカウントダウンのようなテンションで来る、考えの足りない人たちで溢れさせやすくなる。前者のような人たちを集めたところで、その人の背景は映像では見えづらい。バカ騒ぎしている人たちで溢れさせた方が、わかりやすいし、実際にああいう光景は渋谷のスクランブル交差点で毎年目にしている光景でもあるから、見ている人にリアルさを感じさせるからです。今年のハロウィンもコロナ禍にも関わらず、一定数の人たちが来ていたみたいですしね…。この映画はコロナ前に撮影された作品ですが、危機的状況でも来ないでとあんなに呼びかけられていても一定数の人がああいう行動をするのか…というリアルのことも思い出されて、なんだか嫌な気持ちにもなりました…。


そして、事件が終結した後の東京。
事件のその後のニュース映像が流された大型ビジョンは新宿。西島さん演じる世田が歩くのも新宿。
この大型ビジョンの場所が選ばれるだけでも違和感を感じてしまうくらい、東京で大型ビジョンが出てくるような風景は渋谷のスクランブル交差点が定型的。
私は東京に住んでるから、あのビジョンが新宿駅東南口のビジョンだということはすぐにわかるけれども、これによって、あぁ渋谷は破壊されてしまったのだなという消失感を観客に植え付けさせてるのかな、と思いました。
(新宿で大型ビジョン出すなら東口のヤマダ電機のあのビジョンだろと思ったけど、あそこも渋谷と同じくらい有名な場所だからあえて外したのかな…笑 そういえばあそこのヤマダ電機なくなっちゃってるんですよね…ビルもビジョンも残されてはいますが…)



3.原作との違い

2.でも原作との違いに一部触れましたが、この作品は原作と大きく変えている点がいくつかあります。その最たるものが、犯人である山口の夫が外国人から日本人に変わっていることでしょう。
(朝比奈がゲイという設定がなかったとか、職業が違うとか、そういうのは諸般の事情によるのだろうし、まだわかるのですが。笑)

なぜ、毎熊さんが演じたあの山口アイコの夫役は日本人でなければならなかったのか。
(私は公開初日に映画を見てから翌日原作を読んだので、急に外国人が出てきた方に違和感を感じたのですが…)

確かに爆破テロといえば、外国人が起こすものというイメージがあるし、そもそも外国人が起こすというレベルではなくて、外国でしか起きないものという認識が、ほぼ全国民にある。

原作では、この一連の爆破事件はテロであり、犯人は外国人であってほしいという願望を、世田が話すシーンもありました。


でもだからこそ、山口アイコの夫を日本人に変えたのだろうな、と思いました。
戦争を経験したことから、彼女に爆弾の作り方を教え、自殺をしたその人が、外国人だったら、この映画を見た人たちに当事者意識が芽生えにくい。山口夫婦の出来事は遠い場所で起こった、可哀想な出来事にしか映らない人も必ず一定数いるでしょう。
小説では、文字上で出てくるだけだから外国人であろうと影響は少ないと思いますが、実写になった時に、それこそ筋骨隆々の黒人なんかが出てきたら、中々自分ごととしては捉えづらくなる。

日本が参加したPKO活動の一環の中でとある自衛官が経験したことが、精神を壊し、自殺するまで追い詰めた。
憲法上、戦争をしないと規定されている日本の自衛隊活動でさえそうなのだから、実際に戦争ができる国にしたらどうなってしまうのか。
そのメッセージ性を強くするために、彼女の夫を日本人にしたのだろうな、と思いました。



4.正義とは

この映画が訴えかけているものは、中々重いなぁ…と思います。
犯人がしたかったことは、単なる復讐ではなく、戦争を知らないで戦争に向かう総理とそれを選んだ日本国民に、戦争を思い知らせること。

ただ、そのために何百人の人を犠牲にすることは正義なのか。
たとえ、犠牲になった人たちは自業自得だったとはいえ、戦争を知らしめるためにはしょうがない犠牲だったのか。

もちろんそんなはずはない。

朝比奈たちが、PKO活動で出会った少女が、自分たちの家族たちが戦争で殺されたことから、自衛隊員たちを殺そうとして地雷を踏んで自爆するシーンがあったけど、やっていることはそれと変わらないような気もする。

多分この映画で訴えたかったことは、反戦争、反政府といった単純なことではなくて、戦争やテロや、命の危険に晒されるような出来事が、身体だけでなく、どれだけ心にダメージを与えることなのか、ということだったのかな、と思います。

ハチ公前広場の爆発で命が助かった人々も、犯人に片棒をかつがされた来栖も、恵比寿の爆破騒ぎで被害にあった来栖の先輩も、そして過去に犯人から逆恨みをされて首に傷を負った世田も、幼い頃に朝比奈が母親を傷つけるところを見た須永も、みんな、これらのことによって心に傷を負っているもしくは負った人たちでした。

そうした人たちを犯人や朝比奈含め、一人一人描くことによって、だから戦争は、人を殺めることは、人を傷つけることは、絶対にしてはいけないことなんだ、ということを説いていた映画だったのかな、と私は思いました。



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〜〜あとがき的なやつ〜〜

本文でも書いたように、この作品は結構重い作品ではあるのだけど、愛に溢れている作品でもあるな、と思いました。
須永が合コンで出逢い爆破テロの被害に遭った綾乃と、恋が始まりそうになって終わるこの映画の終盤のシーンも、須永がとっていた行動はずっと母親のためだったということも、朝比奈が死ぬ直前に須永に話した言葉も朝比奈がバックミラーで須永のことを見ながら東京タワーの爆破を山口に思いとどまらせたのも、私は全て愛だなと思いました。(なぜか全て須永関連なのは許してください、ここでくらい倫也さんのことしゃべらせて。笑)

あと、この映画での唯一の笑えるポイントは、来栖をホテルに連れてきたプロデューサーが、叙々苑のお弁当を出して、その後今半のお弁当も出すシーンですよねwwwあそこは映画館でクスクス笑いが聞こえてきました。笑