中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

祝!ブログ開設18ヶ月!【利他について考える】

こんにちは!
今回は毎月恒例の1ヶ月振り返り記事です。
もうブログを始めてから1年半…早いもんですねぇ。いつもお読みいただいている方、本当にありがとうございます。反応をいただくととても励みになります。
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早いもんで、「珈琲いかがでしょう」が終わってからはや3週間ほどが経過しようとしております。
私自身は思ったよりもロスっておらず、多分それは今期他に見ているドラマ「着飾る恋には理由があって」「コントが始まる」がめちゃくちゃ大好きだからかなーと。この二つともが終わったら私は何を楽しみに生きれば良いのでしょうか…(今のところ夏ドラマで楽しみなものがない…)

さて、本日のテーマは

祝!ブログ開設18ヶ月!【利他について考える】

です!

先月の振り返り記事はこちら。
seeen-tomoya.hatenablog.com

今月の振り返りは5/14~6/13までです。


書いた記事は本日入れて2本(総数103本)
PV数は本日20時半時点で2987(総数143868)
読者数は現在164人。


ということで、本日の副題は【利他について考える】

倫也さんのエッセイ「THEやんごとなき雑談」が発売になってから数ヶ月。これに関連したブログをあげようあげようと思いながらも、中々書くタイミングがとれず時間が空いてしまいましたが、先日ダヴィンチに掲載されたやんごとの書評ダヴィンチ5月号 P151 株式会社KADOKAWAとそれに付随したインタビューで吉田大助さんがキーワードとしてあげた【利他】というワードを私もテーマにさせていただいて、今日はお話を進めていこうかなと思います。

吉田さんの書評のリンクはこちらに貼らせていただきます。
note.com
吉田さんの倫也さんへのインタビューはこちら。
ddnavi.com


本当におこがましい話で恐縮なのですが、はじこいから倫也さんにはまって彼のインタビューやエッセイで綴られる彼の言葉を追いかけるようになってからというもの、私が考えていきたかったのはこういうことだったのかとか、私も同じようなこと考えていたなとか、そういうことがとても多い。

彼の言葉をたくさん読んでいると、自分の思考がどんどん言語化されていく気がして、私が彼のことを好きな1番の理由はここにあるのですが、それを考える上で、吉田さんがキーワードとしてあげた【利他】という言葉は、すっと私の中に入ってくるワードで、先日の倫也さん表紙のダ・ヴィンチで最も好きなページは上でもリンクを貼らせていただいた吉田さんの書評で、さらにインタビューまで先日公開されて、私は狂喜乱舞しました。笑


さて、まずは私の個人的なお話からしようかと思います。
大学生の時にアマチュアの記者をやっていたからなのか、私個人の元々の性格の問題なのか、“ことば“の本質的な意味というものをきちんと捉えたいな、とここ数年考えています。
これは難しい言葉をたくさん使えるようになりたいという意味ではなく、例えば「普通」ってなんだろう、「面白い」ってなんだろう、「幸せ」ってなんだろう、みたいな、日常的に使う言葉についてもっと考えたいというニュアンスです。
そして、先ほど本質的な意味と書いたのは、辞書的な意味ではなくて、私自身がその言葉を使うときに“私自身の解釈“としてどう理解しているのかということを考える作業です。

先程例であげたような言葉って辞書を引いて意味を見てもそれだけでは理解できない言葉じゃないですか。
だから私はそれらを自分なりに腹落ちさせて、その上でできるだけ平易な言葉や表現を使いながら文章を書きたいな、と思ってる。


ここからわかる私の性格は、基本は何事も“自分本位“に考えてるということ。私の物事の理解の仕方が自分中心なんです。
子どもの頃とかに、「人からされて嫌なことはしてはいけません」、って言われたことある方って多いと思いますが、この一つの倫理観ともいうべきこの言葉を私は重要視していて、私は色んな行動原理がこれを拡大解釈して行っていることが多い。

相手の立場を想像する、だとか、よく言うけれども、つまるところそれって自分をその立場に置き換えて考えるだけじゃないか。
相手のことをいくら想像しても正解なんて一生わかるわけないんだから、考えても考えても結局は自分なりの考えの範疇は超えない。
だったら最初から、何事も“自分本位“で考えるという立場をとる方が気楽に生きられるような気がする。


……ここまで読んできて、一体どこが利他の話なんだい?って思い始めてきましたよね?安心してください。ちゃんとまとめます。(キーボードを打ちながら本当にまとまるか不安になってきたので1回ツッコミを入れてみた。笑)



次に、私が【利他】について考えてみたことを書いていきます。
吉田さんの書評の中で利他という言葉を見た時に、利己と利他って対比的な言葉のはずなのになぜ倫也さんのエッセイは自意識と利他が同居してると言えるんだろう?あれ?利他ってどういう意味なんだっけ?という疑問を持ちます。
そんな時本屋さんでこんな本を見つけます。
『「利他」とは何か』集英社新書 伊東亜紗編)
なんてタイムリー!!ということで早速こちらの書籍を購入し、一気に読み終えました。私が抱いていた疑問のまさに答えというような本で、このコロナ禍の中で話題になっているワードなだけあるなぁと。笑


ここで特に私が重要な指摘だと思った部分を引用させていただきます。

利他的な行動には、本質的に、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれています。
重要なのは、それが「私の思い」でしかないことです。
思いは思い込みです。そう願うことは自由ですが、相手が実際に同じように思っているかどうかは分からない。「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまいます。
つまり、利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないかと思います。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になります。

(出典:「利他」とは何か P50〜51 集英社新書 伊東亜紗編)



さぁどうでしょうか。この引用文のおかげで、そろそろ最初の話と利他が繋がってきましたでしょうか。


私のブログは、ちょっとした紆余曲折はありながらも、一貫させているつもりなのは、自分の主張だとか、感想だとか、決意表明を書いていこうと決めています。
それを読んだ上で、読んだ人が自分の意識の変化のきっかけにしてほしい、という願望はもちろん少なからずありながらも、基本的には自分はこう思った、だからこういう行動をするし、こういう行動をしたい、というただの自己完結の文章です。
これを読んだからといって、多くの人にはどうせ何も響かない、ということがわかっている。もっと噛み砕いて言うと他人のことを、“諦めている“。(元々は“期待しない“という言い方を昔はしていたのですが、倫也さんがプラスアクトで諦めるというワードを使っていたので、これは真似です。笑)

他人を変容させることはほぼ不可能だし、家族や仲の良い友人ならまだしも、SNSだけの繋がりの人たちを変えることなんて聖人君子でもないんだから、到底できるわけがない。

でも“諦めている“からと言って、私が書いているこのブログが、意味の無いものだとは思ってはいない。
それがきっと重要なことで、私は“自分本位“に、つまり“利己的“な文章を書いている。だって私は元々“自分本位“な考え方をいつもしていたから。


うん、書きながらだんだんと自分の考えがまとまってきました。笑

自分の考え方が、倫也さんと似ている気がする、ーーいや、似ている……そこまで言うとあれなので、倫也さんみたいな人になりたいという憧れぐらいにしときましょうか。笑ーーとうっすら感じていたこの感情の原因は「利他的」にあったのかもしれません。


だから私は倫也さんが語るインタビュー、とりわけ倫也さん自身の言葉で綴られたエッセイ「THEやんごとなき雑談」が好きだし、だからこそ私は倫也さんに憧れているし、倫也さんが大好きなんだなぁと思います。


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〜〜あとがき的なやつ〜〜

今回の記事の中で“ “をつけた言葉は本来の意味だけでは含有しきれないと思われる、私なりの解釈を強く意識してますよ、というニュアンスです。伝わっていただけましたでしょうか??笑
なんだか今日はややこいことを書いたような気がしてなりませんが、私自身のことを書いた記事の中では1番納得のいく文章が書けたなぁと思います。

今回の記事の冒頭にも書きましたが、ブログの反応はいただけると嬉しいです。いくら自分本位に書いてるとはいえ、反応くらいは欲しいのでね。笑

ところで、やんごとについて書くと言っておきながらほぼ自分のことしか書いておりませんね。笑
この月一の記事は自分のことを書こうと決めているので、まあいっか。