中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

ドラマ「珈琲いかがでしょう」感想文【中村倫也と青山の親和性】

こんにちは!!久しぶりのドラマ感想文。笑
ということで、先日最終回を迎えました中村倫也さん主演ドラマ「珈琲いかがでしょう」の感想文を書いていこうと思います。
ブログを書くのがだいぶ久しぶりになってしまったのでお手柔らかにお読みいただければと存じます。

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まずはドラマの概要から。

【キャスト】
青山一/中村倫也
ぺい/磯村勇斗
垣根志麻/夏帆

3代目/宮世琉弥
夕張/鶴見辰吾
タコさん/光石研

【脚本】
荻上直子

【監督】
荻上直子、森義隆、小路紘史

【原作】
コナリミサト「珈琲いかがでしょう」


【あらすじ】

タコのマークを車体にあしらった移動珈琲屋さん。その店主の青山一(中村倫也)は各地を転々としながら、丁寧に誠実に一杯一杯のコーヒーを淹れて人々の心を癒していた。例えばOLの垣根志麻(夏帆)は青山のコーヒーと出会い、仕事との向き合い方が変わったように。しかし青山が一つの場所にとどまらずに移動珈琲屋を営んでいたことにはとある理由があった。謎の男(磯村勇斗)も青山を追っているようでーー。



さて次からが本題。
以下の3つのテーマについて書いていきます。

  1. 原作からの改変
  2. 青山のグラデーション的な変化
  3. 中村倫也“と青山の親和性


1.原作からの改変

原作は「凪のお暇」でも知られるコナリミサトさんの漫画「珈琲いかがでしょう」。中村倫也さんのコナリさん作品への出演は「凪のお暇」のゴン役に続いて二作目となります。
実写化発表前から青山の見た目や雰囲気が中村倫也さんにしか見えないということで、界隈に限らず話題になっていたようで。(私はあまり漫画を読むたちではないので話題になってたのは知ってたけど、読んだことはなかった。けどドラマ開始前には読みました。)
待望の実写化となりました。

ただ、いくらビジュアルがぴったりだとはいえ、実写化は原作からの改変が必ず入るもの。一体どんなふうにドラマ化されるのかとドキドキワクワクしながら全8話を視聴させていただきました。

結果から申し上げさせていただくと、素晴らしい実写化になったなぁと個人的には思います。

漫画では前半4話までのような“青山“対“誰か“の構図があくまでも中心でその後ろに全体のストーリーが流れていて、青山自身への深掘りはあまり多くない。
でもドラマ版では青山の過去に、よりスポットを当てて、現在と過去を行き来しながら、より深く彼自身の人生を映し出してくれていたと思います。

本格的に青山の過去を描き出したのは第5話。
ここでは青山とぺいが一緒に暮らしながら“清掃業“に従事していた頃のお話が描かれます。菱山(渡辺大)に指示された人物をただひたすらに“処理“していく日々。
中村さんの真っ黒な目の演技も相俟って「ホルモン、ホルモン、」と呟きながら殴る青山は、絵から映像になった時のインパクトが段違いでした。(ホルモン珈琲)
続いてぺい目線のお話、「初恋珈琲」はドラマオリジナル。ぺいが苺アメをいつも舐めていた謎が明かされ、ぺい自身のことも、そして「寂しい時口の中入れとくんだ。紛れるから」と苺アメを渡してきた青山自身のことも、このアイテムが一つ加わることによってより深く表現されていて、とても好きなオリジナルエピソードでした。

青山が珈琲にどっぷりと浸かっていき、生きることの意義を見出していく様を描いたのは第6話。
タコさん(光石研)との珈琲鍛錬の日々は原作ではここまで細かい描写がなかったこともあり、私はとっても好きな回でした。

どんなものを食べたのか、それが美味しかったのか、美味しくなかったのか。
大事だと、好きだと、思える相手がいるのか。
自分を大切にすることができるか。

タコさんが教えてくれたこれらのことは、空っぽだった(あえて空っぽにしてきた)青山には当然目から鱗なことだったのだろうと思うけど、これらのことは私たち自身にもとても響く言葉の数々だったな、と思います。
タコさんは人間らしく生きる上でとても当たり前のことを言ってるけれども、私たちはそれを意識して毎日を“ポップに“生きることができているのだろうか。自分のことを大切にできているのだろうか。昨日食べた食事をちゃんと覚えているだろうか。
そういった問いかけをしてくれた回だったな、と思います。

タコさんの奥さんとの出会いを描いたのが最終回(第8話)。
原作では、奥さんの醜い親族がたくさん現れて、タコさんを同じ墓に入れることに反対をして、そのどさくさの中で踏まれて砕けた骨をコーヒーに入れて奥さんが飲み干し、親族たちに大きな声でキレるという展開でした。
ドラマでは親族たちは登場せず、青山たちと奥さんの会話は静かな展開で続いていく。ここで青山が奥さんにタコさんとの思い出を話すのですが、ここでの青山の表情が本当に素敵で、6話でのタコさんとのエピソードがあったからこそ、この表情での感情がより伝わってくるような気もしてとても好きな改変だったなぁと思います。(金髪パートの方が後に撮っているので、光石さんとの撮影前にあんな顔ができるなんて役者さんって本当にすごいなあと思いました。)
まぁ親族達たちが登場しないのであれば骨は飲まなくてもよかったのでは…?とも思ったけど。笑

そしてこのドラマの終わり方。私、山田杏奈ちゃん演じる雅ちゃんがとってもとっても大好きで、ラジオ番組で話す雅ちゃんに期待していたので、それが無かったのは残念っちゃ残念ですが、最後の「珈琲いかがでしょう」の青山、めちゃくちゃキラキラしていて、ワタクシしにました。笑

2.青山のグラデーション的な変化

このドラマでの見どころの大きな一つが、中村倫也さんが笑顔が素敵な癒しの移動珈琲屋さんの現在青山と、暴力に塗れた金髪の過去青山、という全くの別人な現在・過去パートの演じ分けだったかと思います。
原作ファンの方が倫也さんに青山を演じてほしいという期待をしていたのは、ビジュアルが近いというだけではなく、この演じ分けができる役者さんだろう、という期待もあったからでしょう。

でも倫也さんの演技はその期待を遥かに上回るものだったな、と思います。つまり現在と過去でスパッと切り替えるのではなくて、毎話毎話少しずつ違う青山の顔を見せてくれた。

現在パートで言うと、例えば第1話でのカレー店の店主との会話での何か悲しげな目、第3話での飯田(戸次重幸)との会話の最中にさぁーっと光がなくなっていく目。
過去パートで言うと、例えば第5話でのホルモン、ホルモンと殴る時の光の一切ない真っ黒な目、第6話でのタコさんと一緒にいる時の庇護欲を駆られる子供のような口調や表情、第7話でのぼっちゃんに対する親のように優しげな立ち振る舞い。

ここに私がパッと思いついたものを列記しただけでも、ありありと脳内に蘇るくらいそれぞれ違った印象の残る演技を倫也さんはしていたし、それによって徐々に青山がどういう人なのか、どうやって今の青山になっていったのか、あの時の青山はこんなことを考えていたのだろうか、といったことがよく伝わってくる。

最終回まで全て見終えてから、また最初から見返したくなるような、そんな中毒的な心地よさがこの作品にはある気がする。

あぁ、青山を、倫也さんが演じてくれて本当によかったな、と心底思いました。

3.“中村倫也“と青山の親和性

青山は実は壮絶な過去を抱えていて、でもそれを変えようとしたからこそ、青山が発する言葉にはコーヒーを飲みに来た人々を癒す効果があって、それを見る私たちのことさえも肯定してくれるようなお話になっていた。

そんな青山の言葉の数々を倫也さんが発するのを聞いていて、青山のセリフが倫也さんご本人がよく発言していることとなんて近いのだろうか、と思うことが多々あって、余計に感情移入してしまった気がします。


例えば、1話での垣根さんに対してのセリフ。
「全員に通じるものって案外つまらないのかもしれないなあ。誰かにとっての特別であれば、それがいいです。」
このセリフを聞いて思い出したのは、中村さんが時折話しているこの言葉。以下に引用します。

だけど一生懸命に作ったものが、もしかしたらどこかの誰かにとっての人生に残る一作になるかもしれない。(中略)この仕事の価値はそれ以上でも以下でもない。だから僕はそこから毎作品『そういうものになればいいな』って思いながらやってきました、うん。

(出典:「TVガイド PERSON vol.98」P13 東京ニュース通信社

そしてこのインタビューも同時に思い出しました。以下に引用します。

僕が日頃から思っているのは、『うまく説明できないんだけどおもしろかった!」と言える映画、が良い映画だと思っていて。『説明できないけどおもしろい』って最上の褒め言葉ですよね。

(出典:「J Movie Magazine vol.58」P29 株式会社リイド社


例えば、2話での礼に対してのセリフ。
「僕は思うのですが、たとえあれを持っていなかったとしても、しがみついて続けられる人はそれに匹敵する何かを得ることができるのではないのでしょうか。あなたの言うそちら側には戻れなくても、苦味を知ったからこそ描けるものがあるのでは?」
このセリフも倫也さんが若手時代に、苦しみから抜け出した時の話とつながります。
こちらは倫也さんのエッセイの文章から以下に引用します。

純粋な野心を胸にこの世界に飛び込んだ頃。自分には能力があると信じていた頃。うまくいかず、人や時代のせいにしていた頃。だんだん心が荒んできた頃。ひがみと妬みで酒が不味くなった頃。自分は特別じゃないと気づいた時。自分が嫌いになった時。差し伸べられていた手に、やっと気づけた時。
遠回りばかりだった気もする。もっと賢く選択できてたら、器用に生きられたら、もっといい“今“があったのかもしれない。でも道草だらけの古傷まみれの人生の方が自分らしい気もするし、寄り道してきた分、振り返った時に見える景色が広くて、「これはこれで悪くないな」と思ったりもするのだ。

(出典:「THE やんごとなき雑談」ぐちゃぐちゃ P92 株式会社KADOKAWA

ちなみにこの回のエッセイで、若い時の話をするときに前半が“頃“、後半が“時“と使い分けているのが連載当時からとても好きでした。“時“に変わったタイミングで自覚をして、そこからは自己分析をしっかりしていたから、なんとなく“あの頃“という不確かな単語ではなく、“この時“って言い方に変えてるんだなーって。この文章すごく好き。


さあ、そろそろ見た目だけではなく中身までもが、中村倫也=青山“という構図があなたにも見えてきたのではないでしょうか。笑
役は役、本人は本人と分断すべきだと思うし、私は割と役と役者は切り分けて考えるタイプの人間ではあるけれども、こうやってご本人の内面と青山のセリフがお互いに浸透していく感じが、ファン的にはとても嬉しくて、キャラ自体も余計に好きになってしまう要因なのかな、とも感じます。


このドラマを中村倫也でやろうと決めてくれた、関係各所の皆々様、誠にありがとうございました!!!!!!


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~~あとがき的なやつ~~

一つ目のテーマにしていた、改変と言えば過去青山の服装が漫画とだいぶ違いましたね。笑
細い身体に肩がはだけかけた羽織り物に下はタンクトップというのが過去青山のスタイルですが、多分倫也さんの体形だとうまく同じようには見えない気もしなくもないし(顔はかなりシャープになってたけど、少女漫画のそういう絵の再現度は大変そう)
あとは撮影時期が真冬だったこともあって、基本パーカースタイルだったんでしょうね。倫也さん寒がりだし。笑

まぁこれはうまく言えなかったからあとがきに書いてるんですが、一番大きな理由は、漫画のタンクトップ青山と、倫也さんが演じたパーカー青山とでは、なんとなく青山という人に対するアプローチが違う気がして、タンクトップにしてしまうと、倫也さん色気ありすぎるからタコさんを前にしたときの母性本能をくすぐる感じが出ないような気もして、だからパーカー着て包まれてる感じにしたのかなーって。

…………知らんけど。笑