中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

ドラマ「MIU404」感想文【現実と非現実】

こんにちは!本日は今更ながらではありますが、ドラマ「MIU404」の感想文を書いていきたいと思います。
大した考察や解説があるわけでもありません。一個人がこのドラマから何を受け取ったのかということだけを書いていこうと思います。ちなみに私はディレクターズカット版は見ておりません。


*********************

最終回が9/4だったのでそれからもう1ヶ月。何故今更感想文なぞ書いているのかと言いますと、まぁ…書きたいからですねぇ。

私が普段生息しているTwitterは倫也さん大好きな人たちばかりフォローしているはずなのに、TLは毎週金曜日MIUで溢れておりました。笑(それが悪いとは全然思っておりません)
たぶんタイミングが悪く初回リアタイができなかった私は、なんだかTLに取り残されている気になり、みんなが盛り上がれば盛り上がるほど今更な…という思考に陥り、毎週録画はしながらも見始めることが中々できませんでした。
さらに考察のツイートが流れて来るたび、なんか真剣に見なきゃいけない系の作品なの?とも感じると、ご飯食べながら見るのもあれかなぁみたいなね…。(いつもドラマは夕飯食べながら見るのが基本)

と、そろそろもう録画やめて全話消しちゃおうかなと迷っていた10話放送の翌々日。たまたまその日曜日は予定がなく、珍しく気の向いた私はやっとMIUを見始めました。結果から言うと確か日曜だけで8話くらいまで一気見しました。最終回前に10話まで見終わり、なんなら好きな回は2回目も見てから最終回リアタイを迎えました。本当に最高のドラマでしたよね…。今のところ今年ベストな作品なのは間違いない。



はい、前置き長くなりましたが、本日のテーマは

ドラマ「MIU404」感想文【現実と非現実】

です。

最近、ドラマや映画の感想文をたくさん書いていて、それが自己を見つめ直すことにもなっているのですが、その過程で私ってリアルすぎる作品があまり好きじゃないんだなって気づきました。

それこそ美食探偵みたいな、現実離れしたそんなわけあるかい!おい!笑 みたいな話の方が好きなんです。フィクションはあくまでフィクション。仮に事実に基づいていてもそこにフィクションが紛れているから面白い。
今話題のTENETもそんな感じです。物理学的に正しいのかどうかとか知らんけど、ノーラン監督が考えた逆行の設定は、矛盾があるかどうかなんてド文系の私が考えてもどうせわからないし全部素直に受け取る。だってそもそもフィクションだし。笑
私が邦画より洋画が好きだったのも、洋画の方が自分の生活から離れられるから、よりフィクション感を感じられるからだったのかなと。

そういう意味では、このMIUという作品の私が見始める前のTLでの感想だけを見たときの印象は、めちゃくちゃ現実とリンクさせている作品なのかなってことでした。だからこそ中々見ようと思えなかった。

でも実際全話通してみた感想は、この【現実と非現実】の関係こそが面白いな、ということでした。

ということでここからはテーマに分けて書いていきます。


  1. 図書館戦争」との勝手なリンク
  2. 九重の役割
  3. 現実と非現実


1.「図書館戦争」との勝手なリンク

はい、「図書館戦争」。小説はそこまで読まない私ですが、日本の小説だとダントツで読み込んだ作品ですね。大大大好きなんです。中学〜高校の頃かな?、にかけて小説も漫画もアニメも見て、もちろん実写映画も見ました。(別冊とかもはやただの恋愛小説か!って感じだけどそれも好き。特に手塚×柴崎が大好き)
で、なんだかこの4機捜って図書館戦争のタスクフォースみたいだなって思いました。見たことない人は申し訳ないのですが、伊吹が【笠原】、志摩が【堂上】、九重が【手塚】、陣馬が【玄田】だなぁって。
笠原と堂上のバディは男女で上司部下の関係だったという違いこそあれ、性格や過去が伊吹と志摩のバディと近いなぁって思わずにはいられません。(伊吹と笠原のとにかく足がバカっ速いっていう唯一の長所も一緒。笑)
親がその組織のトップで自分も優秀で、個人主義・正論しか唱えなかった手塚なんて、まんま九重。成長の仕方も近い。
そして陣馬も玄田隊長まんまですが、陣馬を演じた橋本じゅんさんは図書館戦争の実写版でも玄田隊長を演じてる。笑
ということまで頭で妄想をしてニヤニヤしながら絶対同じこと考えてる人いるよなぁと思いTwitterで「MIU 図書館戦争」で検索をしたら、図書館戦争も同じく野木さんが脚本と初めて知りました…なんなのよ野木さん……これはあれですか?図書館戦争の登場人物に当て書きしたんですか?笑

まぁ冗談はさておき、MIU好きな人は絶対図書館戦争も好きだから、読んで欲しいなぁ。
設定は昭和の後、平成ではなく違う元号になり、本が狩られるようになった時代。図書館は本を守るための唯一の機関となった。という感じ。文字通り本当に"戦争“です。表現の自由というのが大きなテーマ。でも恋愛要素もあり。全4巻、恋愛要素強めの別冊は2巻。是非是非読んでみてくだされ…。
私も実家に置いてある本を回収してきて久々に読もうかな?笑


2.九重の役割

メインは、もちろん主人公の伊吹と志摩なわけですが、私が最も好きだったキャラはダントツで九重でした。岡田健史くん…今まで興味なかったのだけど、一気に気になる存在になりました…。

このドラマは【許し】が大きなテーマの一つになっている。その点で九重は、視聴者の代理人なのかなぁと思いました。
最初の頃の九重は自分に絶大なる自信があって、罪を犯す人、間違いをする人は、その本人が全て悪いと思っていた。
九重は九重で優秀な親を持ったなりの苦労をしてきたのだろうし、尋常じゃない努力もしてきたのだろうと思います。だからこそ自分に自信があったのでしょう。
第1話で始末書を書いていた伊吹、相棒殺しと言われていた志摩のことを、九重は見下していた…つまり許していなかった。
それは犯人に対しても同じことで、犯罪を犯すような状況になるのは自己責任だと。

でもこの九重のような考え方を持つ人って、世間にも一定数いると思います。SNSを見ていると余計にそう感じる。そして何より自分自身がそうだなと感じました。

第3話【分岐点】で志摩が九重にピタゴラ装置で説明した【スイッチ】の概念が、そんな私からしたら本当に目から鱗でした。途中で止まったり、道を逸れてしまった後の人に対して、自己責任論で片付けることは簡単だけれども、その前にその人にどんな【スイッチ】があったのかなんて知りようがない。そしてそれが知り合いであったならば、自分がその【スイッチ】になろうとすらしなかったことも反省しなくてはいけないな、と。

九重はこの志摩の話と、第3話の【分岐点】で成川を取り逃したという自身の失敗や、志摩のバディの過去の失敗についてなどを経て、【許し】についての考え方を変えていく。

全11話を通して九重の成長も描かれるけど、それを通して何かを訴えかけるために、視聴者である私たちに一番近い存在としての九重が居たのかなとも思いました。

なんだかんだ書きましたが…私は九重くんのすべてが好きです。えへへ♡

※ちなみにこのピタゴラ装置の考え方、先日公開された倫也さん主演映画「人数の町」と私はリンクして考えてしまいました。
映画も見たみなさん、どう思いますか?
seeen-tomoya.hatenablog.com


3.現実と非現実

このドラマは現実とリンクするようなテーマの話も多かったですし、リアリティを追求して作られていたと思います。
冒頭で書いたように、確かにそういう作品は私の好みでは無かったのですが(結果その点も好きでしたけどね。笑)そのリアリティとは対照的な【非現実】の部分の描写がすごい好きだなぁって。

言うまでもなく、それは第6話の【リフレイン】の志摩の後悔からくる願望と、最終話【ゼロ】の伊吹と志摩の二人がクスリによって見させられた夢の2つです。

このドラマはずっとリアリティがあり、フィクション感や矛盾を感じるような場面がほとんどありませんでした。
でもだからこそ、第6話で志摩が過去の相棒とのことを思い返すシーンと、最終話で伊吹と志摩が久住とやり合うシーンで感じる違和感が、非現実ですよ〜としっかり説明してくれる。

第6話を初めて見た時、志摩が昔の相棒の香坂とのことを思い出して話す時、嘘をつくような人間だとは思えなかったので…というか私は信じていたので、何でだ何でだ…?と思ったら、この矛盾したシーンはやはり、志摩の願望でした。
1回目を見たときには全然気づかなかったのですが、そのあと2回目を見たら、志摩の願望の時だけ照明に灯りがついていて、真実のシーンでは照明に灯りがついていない。

そして最終回。伊吹と志摩が久住を追って、船に乗り込むシーン。クスリを嗅がされた後、二人が意識を取り戻してそのまま場面が展開しても0:00の時計表示が変わらない。チクタクと時計の音がバックで流されているからこそ、余計に違和感が生まれていました。

夢だよな?夢だよな?と思いながらリアタイ時は見ていて、案の定夢オチで、何だよぉ…現実じゃない描写って第6話と同じかよぉ〜何なら6話よりもわかりやすすぎじゃんか…ってなんか一瞬がっかりしてしまったのは事実です。

でも最終回はあえてわかりやすく描写していたのかなと、全体をもう一度見直してから思いました。

先ほども少し触れたように、この物語全体は【スイッチ】、つまり【選択】が重要なポイントになっていました。
第6話の志摩の願望は、後から振り返った志摩がすべきだったと後悔した選択を映したもの。
第9話は全て現実の出来事ではありますが、悪いスイッチ、選択がどんどん重なって、ハムちゃんと成川が井戸に閉じ込められる。

つまり最終回の二人が見た夢は、最悪の選択をした場合に起こりうる未来で、それを夢として見せることで、後の二人の関係性を構築するために役立ったのかなと思います。
この展開は奇しくも、同時期に放送されていた「妖怪シェアハウス」の最終回でも使われていました。

つまり伊吹と志摩の久住との対決は夢オチとして描いたのではなくて、選択の果てを見せるための描写だったのだなと。


人生は【選択】の繰り返しで、選んで間違えて、選んで新しい道が生まれて、選んで一つのゴールにたどり着く。
そんなことも教えてくれるドラマでした。

MIU404最高!でした!!!

*********************

〜〜あとがき的なやつ〜〜

このドラマから感じたことは、この一回の感想文なんかじゃ全然書き足りないのですが、まぁ今更1話ごとに感想文を書くような時期でもないので、とりあえず書きたいことを絞って書いてみました。

今一番の悩みは、Blu-rayBOXを買うかどうかです…推し以外にも貢ぐには私の稼ぎが足りない…笑