中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

映画「人数の町」感想文※ネタバレ有り!

こんにちは!
先日ネタバレ無しの簡潔な感想文を上げさせていただきましたが、本日はガッツリネタバレありかつ私なりの解釈や妄想込みの感想文を書いていきたいなぁと思います。この映画の面白いところは、観終わった瞬間は無の感情になるのに、観終わってから時間が経てば経つほど頭の中に映画が侵食してくるというか。上映中の2時間弱だけじゃなくて、いやむしろその後の方が面白く感じてくるというような、今まで経験したことの無い映画だと感じました。

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早速本題に入ります。
本日のテーマは、

映画「人数の町」感想文※ネタバレ有!

です!!

公開初日にネタバレ無しのこちらの記事をあげさせていただきました。
seeen-tomoya.hatenablog.com
まだ映画をご覧になっていない方はぜひこの記事を見ていただき、まずは映画を観に行っていただければと思います。



パンフレットにも書いてありましたが、この映画は監督が子供の頃から恐怖を覚えていた「人数」を描いた作品です。
その恐怖が奇妙な「町」という設定とともに映画の中で表現されていて、この「町」で行われていることは完全なフィクションであることは間違いないのだけど、一個一個を切り取ると有り得なくもなさそうに思えてしまうところに、単純に「怖っ」と思いました。

そしてこの映画が他の映画と最も違うのは、終わった瞬間は「で?」と一瞬なってしまうところ。お涙頂戴の感動モノでも無いし、主人公に共感できる訳でも無いし、何なら登場人物の誰かに共感するというのもなかなか難しい。ドキドキハラハラする展開なわけでも無いし、終わり方も普通のハッピーエンドでは無い。だから「で?」と最初はなってしまう、そんな方も多いのでは無いかな?という印象を受けました。
舞台挨拶で引きの画が多かったというお話も出ていましたが、一緒に観に行ったフォロワーさんと感想を話していて、この映画を観ていると観客が「町」の中に入り込むというよりは、外から観察しているかのような感覚になるのも、そういうことなのかなと感じました。


さて、映画の大枠の感想をざっくり述べたところで、ここからは、各テーマに分けて書いていきたいと思います。

  1. 「町」について
  2. デュードとチューターの関係
  3. 蒼山と紅子、それぞれの変化
  4. 「自由」とは


以上4点に絞って書いていこうかなと思います。

1.「町」について

この町は現実世界に実は起きていること、起こっているんじゃないかと陰謀論的に考えられていること、人間を人間として扱わず搾取する側の人間の思考、それらを凝縮させることで、できているのかなと感じました。

例えば、食べ物を得るために行わせられる、“絶賛タイム“や、ハンバーガーショップに並びSNSに写真を投稿することは、ステルスマーケティングを、より悪質にわかりやすく表現した結果でしょう。
“ディスりタイム“は先日最終回を迎えたMIU404で行われた、複数アカウントで特定のものを炎上させるときと、方向としては同じです。

なりすまし投票に関しても、選挙に行った時こんな妄想を皆さんしたことありませんでしたか?ちなみに私はあります。自宅に届いた投票券を持って行って投票用紙と引き換えるけど、そこで本人確認なんてされない。悪意があればなりすまして投票しようと思えばできるんだよなぁって。
政治に興味なんてさらさら無く、投票に行くつもりもないお金に困っている人に対して、あなたの投票券○○円で買いますよと言われたら売ってしまう人は一定数いるのではないか。それこそ“デュード“になってしまうような人であれば尚更。映画内のテロップで、投票率や選挙に行ったことのない人数が出てきますが、この数字を見ればあながちフィクションとも言い切れない怖さが醸し出される。

この町で行われる労働をそれぞれ切り取っていくと、全くのフィクションとも言い切れない怖さがあるなぁと感じます。


デュードに対しての町の仕組みも、現実世界の縮図になっている気がしてなりません。

紅子が町に行くためのバスに乗る前に同意書を書かされるシーン。他の人たちは、規約なんて一切読まずにサインをしていく。そこにはきっと戸籍が無くなること、戸籍を取り戻せないこと、町を勝手に出たときに起こること、そんな注意事項がきっと後半に小さく書かれてはいるのでしょう。
紅子はしっかりと読んでからサインをしようとするけど、チューターに急かされて、結局最後まで読まずにサインをしてしまう。
そんな瞬間は現実世界の契約ごとなんかでもよく起こることじゃないでしょうか。

部屋に置かれているバイブルや、治験の際の副作用の説明書なんかもそうです。
バイブルそのものを私たちは全て読むことはできないですが、パンフレットのあるページに小さい文字でバイブルの一部がびっしり書かれています。あの文章、読む気の起きない書き方で書かれている。の割に後半にさらっと重要なことが書いてあったりもする。
治験の副作用の説明書もデュード達は読もうとして、なんかよく分からないけどいっか!と言って薬を飲んでしまっている。おそらく小難しい説明が書いてあったのでしょう。

あとで説明書に書いてありましたよね、という言い訳をするために一応書いてはいるけど、問題点に気づかれたくないから、巧妙に隠して書いてある。そんなことは現実にもある話だと思うんです。消費者を「人数」としてしか捉えていない会社であれば、そんなことが当たり前に横行しているような気もします。


町全体を見れば、絶対にフィクションだし、こんなのありえないってなるんだけど、こうやって一個一個切り取るとだんだん恐ろしくなってくる。これが最初に書いた、観終わってしばらく経ってから、恐ろしく感じてくるような要因の一つなのかなと感じました。

2.デュードとチューターの関係

あとでも触れますが、蒼山がチューターになってしまうというこの物語の結末。この結末を見た後に、チューターのことを考えると、他のチューターも元デュードなのかな…ということを私は感じました。特に蒼山と最も深く関わるポールなんかはそう思います。

チューターは、現実世界ではもう居場所がなくなってしまった人、もう人生における選択肢がなくなってしまった人、逃げないと命の危険がある人、犯罪を犯してしまった人、をどんな方法かは分からないですが探し出し、デュードにしていきます。
こういう状況に陥ってしまった人にとっては、この町で生きていくことの方が、もしかしたら幸せかもしれない。そしてその判断を元デュードがすることが、この町の経営にとっては大事なのかなと想像できるわけです。

ここで私が映画を観ていた時に感じていた違和感が一つ。町から逃げ出した蒼山達を見つけて車で連れ帰ろうとしたチューターのリンダ。彼女の発言を聞いているとどうしても元デュードとは思えなかった。だからチューターの中には、元デュードの人と、いきなりチューターになった人がいるのかなと結論を落ち着かせることにしました。
が、フォロワーさんから、チューターの名前がビートルズになっていると教えてもらったことにより、ある一つの仮説に辿り着きます。(私はビートルズのメンバーの名前があまり頭に入っていなかった模様。ジョン=ジョンレノンという思考回路ではなかった。笑)
リンダ、という名前をビートルズとセットで検索すると、ポールの奥さんと出てきました。そして私自身は確認できなかったのですが、ポールの指には指輪がつけられていたとフォロワーさんに教えてもらいました。
これらを総合するとポールとリンダは夫婦で、ポールがチューターになり外の世界でも暮らすようになってからリンダと出会い結婚し、リンダも共にチューターになった。だからリンダは元デュードのチューターではない。という妄想もできるわけです。……面白っっ!笑

そして舞台挨拶で倫也さんが話していたこのお話も匂わせということで間違い無いですかね?笑

ちなみに蒼山以外のチューターも元デュードというのは、私の妄想ではありません。パンフレットを購入された方は、バイブルの中身が小さい字で書かれているページの最後の方だけでも読んでみてくださいね。こういう大事なことをちっちゃく最後に書いてくるあたり、この世界観とマッチしてて、くぅ〜となりますね。

3.蒼山と紅子、それぞれの変化

この映画の中で変化が起きる人物はこの二人だけでしょう。そして二人の変化の方向はおそらく逆のベクトルに向かっているような気がしました。

蒼山が町に来た頃は、意思が何も無く、周囲にすぐに流される、ふわふわした人物でした。
この町にいる他の人たちは、ここまで馬鹿では無く、わかっていながらもあえて思考を停止して「人数」となり、外の世界にいるよりもこの町にいる方が生活も保証されているし自由だからと何処か諦めたりしている人も多いのかなという印象を受けました。特に緑なんかはそうではないかなと思います。
でも蒼山は本当にただふわふわとこの町に来て、そのふわふわなまま町に順応してしまっている、そんな人かなと思いました。

でも紅子が来てから、蒼山は徐々に変わっていく。蒼山は元々優しい人ではあったのでしょう。落ち込み悩み、それでも妹や姪のモモを救おうとする紅子に対して、常に寄り添います。こうして紅子と過ごすことによって、自分にはない意志の強さなんかに蒼山は惹かれていったのかなと思います。モモを助けて町を出る、お金のためにコンビニ強盗をする、紅子とモモと新しく生まれてくる子供のために、チューターになる。こういった一連の選択と決断ができる人間に変化をしていく。そして、その変化につれて蒼山の顔つきが変わっていくのが、少し恐ろしくも感じました。


町に来る前の紅子は、強い女性という印象でした。しっかりと仕事をし、意志も強く、一人でも生きていける女性。だからこそ、緑のSOSに対してしっかりと向き合うことができなかったのでしょう。緑のことを自分事として捉えることができなかった。しかし彼女が失踪して初めて後悔をし、手がかりを掴んで、町に入ってくる。めちゃくちゃ行動力がありますよね。でも彼女を突き動かしていたものは家族への愛情というよりかは、正義感や使命感といったものだったのではないかなという感じがします。
町に入り、緑の説得を諦め、モモだけでも助けようというのも、子供をこんな環境に置いておくのは間違っているという正義感のようなもので動いていたように感じます。他の子供達も等しく助けようとしたのもそういうことかなと。
その後、蒼山からの愛情を受け止めて町を出て、モモと過ごし、自分も妊娠をしてしまう。この過程で、紅子の行動原理が正義感から、別のもの(愛?)に変わったのかなと思います。正論だけでは人は生きていけないのだな、という諦観のようなものもあったのでしょうか。
最後の家のシーンで、蒼山が出勤した際に、キャンセラーが家に残されたままになっていることで、蒼山がチューターになったということに紅子は気づいています。しかし蒼山が帰ってきても紅子はそれを追求はしないでしょう。最後はそんな表情になっていました。モモと生まれてくる子供のためにはそうするしかない、しょうがない、と。

この蒼山と紅子の、感情や考え方の変化が、中村倫也さんと石橋静河さんの演技でしっかりと伝わってきたように思います。
二人の変化がこの映画のミソでもあり、本当に面白いな〜と感じました。

4.「自由」とは

この映画を観て改めて考えた「自由」とは、やはり「選択」ができるということかなと思いました。
でもこの「選択」ができる、って言い方は幅が広すぎるなということも、映画を観て初めて実感しました。

映画の宣伝文句で使われていた「出るのも入るのも自由」という言葉で考えるとわかりやすいかなと思います。
映画を観たみなさん、この町から出ることなんて全然自由じゃないじゃん!出られないじゃん!って思いませんでしたか?私も最初はそう思いました。
でもよくよく考えると、この町に来る人達は、同じ次元で考えれば入る時から自由じゃなかったんじゃないかなと思うんです。
この町に逃げ込むように入るしかない状況に追い込まれていた人がほとんどだったはずだから。

ただ、一応同意書を書いて自分の意思で「選択」してはいる。そして蒼山達のように出るという「選択」をすることもできる。
でもこの2つの「選択」を「自由」とみなさん呼べますでしょうか。私には到底「自由」だとは思えません。

この究極の選択しかできない状況は本当の「自由」とは言えないと思いますが、「選択肢」自体を自分で作ることができて、その中で「選択」をすることが「自由」なのかなと思いました。
「選択肢」を自分で作るという行為は、よく考えていないとできない行為だと思います。そしてさらに言えば、「選択肢」を作ることができる状況というのはとてつもなく幸せなことだとも思います。


蒼山が最後にチューターになるという選択ができたのも、町から逃げて、自分たちの力で生きたいという意思と、その選択ができることならしたいという思いがあったから、「町」の外でどんどん犯罪に手を染めていくのか、デュードに戻るのか以外の第三の選択肢が生まれたという結果になったのかなとも思います。
蒼山からしたらそうだけど、実際は「町」のレールに乗せられてた感もある。笑

「自由」についてこんなにしっかりと考えたのは初めてでしたが、私なりに面白い結論を導けたなと思います。こんなことまで考えさせてくれるなんて、面白い映画ですよね。


前回のネタバレなしの感想文でも書きましたが、この映画は観る人によって、感じ方がそれこそ180度変わってくるような作品だなと思います。
私なりに客観的に書くことを一応意識はしましたが、私自身がこう感じているのも、今まで生きて来た人生があるからで、他の人にとっては全然共感のできない文章になっていたかもしれません。でもこの映画に関して言えば、180度違う感想であっても面白く興味深く感じられたりもするのかな、と思います。

絶賛タイムのような馬鹿っぽいテンションでも、私のようなつまらないクソ真面目テンションでも、どんな形であれ色んな感想がSNS上に溢れたら面白いな〜と思います!

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〜〜あとがき的なやつ〜〜

私こういう映画の方がむしろ好みだったりもするので、めちゃくちゃ楽しませていただきました。倫也さんが主演だからってだけではなく。
蒼山という役が全面に出ていて、倫也さんを感じる瞬間はあまりなかったと前の記事で書きましたが、倫也さんに萌えたポイントももちろんたくさんあります。
特にモモを抱っこしたり、手を繋いだりするところは本当のパパとしか思えなくて、めちゃくちゃキュンキュンしました♡
プールのシーンも結構あったから、そこも好きです。笑
推しはとにかくビジュアルが良い。(真顔)