中村倫也を語りたい

中村倫也ファンによる中村倫也ファンのためのファンブログ。倫也さんのことを中心に書いてく予定。予定は未定。

映画「水曜日が消えた」解釈と感想と妄想。

こんにちは!!
先日、ほぼ初見時の感想文をまとめさせていただきましたが、その後舞台挨拶やらなんやらで、結局6回観に行きまして。笑 そして小説も読みました。ということで初見時の感想にプラスして受け取った感情も整理しておきたいなと思い筆を取らせていただきました。深いネタバレと私個人の多分な解釈と妄想がございますので読み進める際はご注意ください。

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ということでいきなり本題です。
本日のテーマは

映画「水曜日が消えた」解釈と感想と妄想。

です!


先日あげた感想文はこちら。
初見時なので一般受けしやすい内容かなと個人的には思ってますし、敢えてわかりやすさを意識して書いたところもあります。単純な感想文読みたい人はこっち読んだ方がいいと思います。
seeen-tomoya.hatenablog.com


そして本日は、よりネタバレだらけで私個人の解釈と妄想だらけの文章です。


私のように割とざっくり物事を受け取った上で、自分が持ってる知識や思考や想像で裏側や詳細を勝手に補完していき辻褄を合わせてしまう(作品に限らず日常生活でもそう)人間にとっては、この作品は細かい演出が多すぎる。でもその細かい演出がものすごく重要にもなっている一方でその演出がイコール答えってだけではなくて、余白として色々解釈のしようが出てくる。


そんなことを6回も映画を観てよーやく感じました。(自分の性格について初めて自覚したことも含めてです)


当然大好きな倫也さんがずっと画面に出てるからという大前提はあるものの、何となくこの世界観が好きでもっとこの世界のことを知りたいと思い何度もこの世界に旅をして、よーやく咀嚼できたことがいくつかありました。
(私は作品、特に映画を見る時と小説を読む時はその世界へ旅する感覚で見てます。リピートする作品は何回もその世界へ行きたいと思った時)


小説版を読んで結びついたことや、仲良い方々が教えてくれたことをもう一度見て気づいたこと、何回も観てようやく気づいたことなどから、私が受け取れたことを書いていきます。


ちなみに。私は考察という言葉は使いません。考察って正解を探しているように感じてあまり好きじゃないんですよね…。あと私は映像作品は元々苦手なので考察とか偉そうなこと言えないし。笑
ということで、あくまでこれは私自身が感じたことなので、共感は嬉しいけど、答えだとは思わないで欲しいな、と思います。


では、早速次の4つに分けて書きます。

※長いのでそれぞれ気になるテーマだけでも読んでくだされば、嬉しいです!



  1. "火曜"の服の謎
  2. マグカップの謎
  3. "月曜"の最後の選択
  4. 元ってどこですか

1."火曜"の服の謎

仲の良いフォロワーさんと一緒に見に行った時、"火曜"の2週目に途中でネクタイが変わるよね?と教えてもらいました。
そんなこと全然気づかなかった私は、そこから2回見てよーやく整理がつきました。

予告と公式Twitterからの写真でピックアップできたのはこれだけです。画像と動画が混じってて見ずらいかもしれませんが…。


①【2週目の火曜日】この予告の0:14の図書館の前を歩きながらバランスを崩すシーン。

②【2週目の火曜日】病院についてから安藤先生と新木先生の前でバランス感覚のテスト?をしてるシーン。

③【左1週目の火曜、右2週目の火曜】家に帰ってからの"火曜"。ネクタイは取ってる。

④【1週目の火曜日】この予告の0:07の歩くシーン。


①が遠くて見づらいかもしれませんが、これらを見てわかるように、2週目に病院着いてからネクタイだけじゃなくて服自体変わる…というか2週目の図書館の前を歩くシーンだけ1週目の服になってるが正しい書き方ですかね?


1週間前を思い出す様なシーンでも無いはずですし、単に2週目の火曜に図書館の前を通ってバランスを崩して転ぶっていうシーンですよね。この服の違いには何か意味があるのだろうか?とただただ疑問です。


記憶が飛んで倒れたりするシーンは"月曜"(もしくは他の"曜日"もあるのかしら?)の意思が何かしらある感じなので、このシーンもそうなの?とか考えようとしましたが何も思いつかず、辻褄を合わせようとする性格の私は……うん!これは間違えたんだ!と安易に結論づけることにしました。(暴論)
でもここも、色んな解釈をしようと思えばできるのだろうとは思います。皆さん頑張って解釈してください、私は諦めました。笑


2.マグカップの謎

1.と似たような話として、マグカップの並びの違いも仲の良いフォロワーさんが言及してて、その後もう一度映画見た時ほんとだ~!とびっくりしました。

ざっくり書きますと"火曜"の振りをした"月曜"と一ノ瀬が話すシーンだけ、"木曜"と"金曜"のマグカップが逆なんです。
でもこの逆な方がしっくりくる色味なんですよね。
("木曜"は茶色、"金曜"は緑色がイメージカラー。でもマグカップだけずっと逆の色だった。)

一応、マグカップの並びの写真とパンフレットの写真を載っけときますね。


この写真だと火曜は無いけどまぁいいでしょう。笑
最後の"月曜"と一ノ瀬のシーン以外はこの並びでした。


パンフレットはこちら。上の写真と同じ並びです。


ちなみにこれに関しても間違いじゃーんと安易に片付けようともしたのですが、こちらは解釈するのが楽しくて。笑
そして私の解釈は2つあります。


①最後の7曜日が出てくるシーンで、"木曜"が"金曜"の部屋にいるなど仲が良いのかな?ということまでは読み取れる。そしてここからは完全な私の妄想。笑
"木曜"と"金曜"は手術前から実は仲が良くて、"水曜"が消える前の週にマグカップだけ交換して他の曜日に気づかれるかな?という遊びをしてた。でも気づかれなかった。"月曜"はコップを片付ける時に元々の並びで記憶してたからその通り並べ直して、一ノ瀬に茶色いマグカップを渡す。
一ノ瀬が"木曜"と"金曜"の遊びにまで気づいてたかどうかはわかんないけど、元々茶色いマグカップが"木曜"のなのは知ってて、これ"木曜"のだけど、と聞いただけ。

→これは"木曜"=茶色、"金曜"=緑色が正しいマグカップだとする説。

(こういう、裏ではこんなことが繰り広げられてましたみたいなスピンオフ的なやつみたい。笑 そしてこういう遊びをしてた曜日があると仮定すると、他の曜日が消えたことに気づいてた曜日が"月曜"、"火曜"以外にもいたかもしれない、とか。ほんと各曜日視点のお話やってほしい…)



②これは、固定観念に囚われすぎないようにね、という監督のメッセージという説。笑
"木曜"のイメージカラーは茶色で、"金曜"のイメージカラーは緑色。なのにマグカップだけその色と逆。でもそういうことは誰だってあるんじゃないでしょうか。
"木曜"はあの花柄が気に入って買ったのかもしれない。"金曜"は物凄いこだわりがあってあのコップを買ったのかもしれない。それが例え自分のイメージに合わないものだったとしても。
でも他の曜日にはそんなことわからない。自分のマグカップだけその並びから取り出して、飲んで、洗って、元に戻す毎日。他の曜日のものにはそこまで興味や疑問は正直わかない気がします。手術前の7人の"僕"たちであれば尚更。
"月曜"は木曜日に"火曜"と対峙したあと、次の週の火曜日に一ノ瀬が来るまでの間に、洗うのが面倒だったり誰かを呼んだりなんかして自分のマグカップだけでなく他の曜日のも使ったりしたんでしょう、きっと(知らんけど)。それで並びがバラバラになってしまった。だからイメージカラー通りに並べ直した。そしたら"木曜"と"金曜"が本来の並びと逆になってしまった。
この妄想でいくと、一ノ瀬は本当は渡されたマグカップが"金曜"のものだとわかっていて敢えて"木曜"のだけどと"僕"にカマをかけた。家に来た時から違和感を感じてたから。

→これは"木曜"=緑色、"金曜"=茶色が正しいマグカップだとする説。


パンフレットの表紙のイラストを見ると、②寄りの説が近しいのかなという気がしますが、何が正解かは勿論わかりません。そもそも正解なんて無いでしょうし。そしてこの2つは完全に私の妄想によるものです。

けど何だかもっともらしく読めちゃえませんか?気をつけてくださいね、私の感想文っていつもこういうテイストで書いてますから。笑



3."月曜"の最後の選択

"月曜"が7人分の署名を書いて新木先生の元に同意書を持っていくシーン。
よく考えてみるととっても深いなぁって思ったんです。

この映画は令和2年の5月~6月にかけてのお話。そしてカレンダー通りにちゃんとなっている。

日付に注目して私にしては頑張って見たところ、自分の中の解釈がどんどん進み、勝手にすごーい!となりました。


"月曜"が"火曜"の振りをして病院に行ったことに、どんな意味があるのだろうとずっと考えていました。
同意書を持って新木先生のところにいく時は"月曜"として行っているのに。


話は、結論としてはシンプルで、その日が火曜日だったからで、その日が月曜日だったからかな?と。


同意書の日付は6/15でした。この日は月曜日です。

"月曜"は確実に自分だと言える日に病院に行ったのかなとも最初は思いましたが、それだけではない気がしました。

署名欄には律儀に鉛筆やらボールペンやらを変えた7人分の署名が書いてあります。

でもこれ単純にペンをその曜日のものに変えて書いただけじゃなく、ちゃんと火曜日には"火曜"の分の署名を水曜日には"水曜"の分の署名を一週間毎日書いたのかなと思うんです。さらに言えば、"月曜"は"火曜"の振りをして一ノ瀬と会ったり病院に行ったりして火曜日を過ごしましたが、他の曜日でも同じことをしたんじゃないかなとも思いました。

"僕"は"火曜"(オリジナルの人格)だけのものでは当然ないし、一ノ瀬と"僕"との関係性だけが"月曜"に決心を付けさせたわけでは無いんじゃないか。慣れねぇことするもんじゃねぇなって"月曜"は言っていたけど、7人で生きるという選択をするために、"月曜"は各曜日になりきって1日1日を過ごしたんじゃないか、と私は思うんです。そしてカメラを各所に仕掛けてた"月曜"にはそれが出来てしまう。そうやって過ごした上で、納得してその日の終わりにその曜日として署名をしていった。一ノ瀬と会った火曜日から署名を書き始めたと考えれば、最後は自分自身の月曜日。自分の署名を最後に書いて、月曜日に新木先生の元に同意書を持っていったのかな、という妄想です。


こう考えていくと"月曜"がもう尊すぎて…。すげぇやつだよあんたは…。

4.元ってどこですか

これは子どもの頃の"僕"が安藤先生に聞いた質問です。この質問をしたのが何曜日の"僕"なのかはわからないけれど(火曜?)、これって別に"僕"に限った話じゃないよなぁと思いました。



人格が段々と消えていく様が、夢の中のサイドミラーに映る1羽の鳥が分かれる数が段々と減っていくことで表現されていましたが、最後の一つ前の夢のシーンは2羽の鳥が1つになって、最後の夢のシーンでは鳥が消えている。

この最後の描写の意味がずっと理解出来ないでいたのですが、昨日よーやく自分なりの解釈をしました。
(パンフレットには意味が書いてあるけど捉え方は色々とも書いてあったので自分なりに考えてみました)


今までは事故をきっかけに人格が7つに分かれてしまい、それぞれがそのまま生き続けていた。悪くいえばそれぞれの人格に変化なり成長なりがそんなに無かった。


これを考える上で小説の新木先生の言葉が面白いなと思いました。以下に一部引用させていただきます。

私は小学生の頃まで、ひどく気弱な子供でした。今になって思い返せば、あの頃の自分はとても今の自分と同じ存在だと思えない。

(「水曜日が消えた」p156、本田壱成、講談社)


私たち的には言われてみればそりゃそうだって論理ではあるのですが、7人の"僕"にとっては同じこととしては捉えられない。
(ちなみに私新木先生好きです。こういう現実的で冷静で論理的な人、好き)


一般的には1つの人格になることが求められがちだし、"火曜"は元通り7人の僕に戻ることを望んでいる。


でもそれ以外にも答えはあるのではないか、という訴えかけが最後のミラーの描写かなと思います。

人格の分かれとその辺りの記憶の喪失は、防犯ブザーを引っ張って事故になってしまったことを忘れようとしたことに起因するのかと小説を読む前は思っていましたが、小説を読むとどうやら違うようで。

ただ、まぁその違いはここでの私の感想からすると、どちらでも良くて。笑

「事故の記憶や一ノ瀬との記憶など、無理やり忘れてたものたち」「残されていた人格」、その2つが2羽の鳥なのかな、と解釈しました。
ここでの残されていた人格とは事故の記憶と一ノ瀬との記憶以外全てという分け方です。何曜日、とかいう分け方ではなくて。


この2つが、記憶を取り戻したことにより1つになった。でもそのあとそれらが消えてしまうのは手術後に新しく"僕"たちがそれぞれ自由に作っていくものだから、かなと思いました。


オリジナルは火曜だけど、元ではない。かといって1つの人格になるのも、もう元ではない。だってそれぞれの人格で16年(曜日ごとの換算だと2年と4ヶ月)生きてきたから、それで一つになっても元にはならない。

そして既に定まった7つの人格のまま変わらず生きていくのも少し違う。


元とか、7つの人格とか、そういうの気にしすぎずに、でもこれからはお互いを尊重しながら自分らしく生きていこうよ、ってお話だったんだなと思います。


人格は変えられるし、勝手に変わっていくし、でも変わらない。
それは他人だったり環境だったり境遇だったり、学校だったり会社だったり国だったり、に影響されて。


本来人間誰しもそうなんだけど、自分は変われないとか枠に収まったりしがちになってしまう。


でも、そうじゃないんじゃない?、と7人の"僕"を使って優しく訴えていたんだなと思いました。



だから、今こそ、色んな人に見てほしい作品だなと思います。


この部分は初見時の私の感想とベクトルとしては大きなズレはないのですが、よりちゃんと自分の中で腹落ちしたように感じました。


この映画をきちんと私なりに咀嚼したあとに、倫也さんの昨年くらいのインタビューを思い返すと繋がっていくような感じもして、文字が大好きな私は久しぶりに倫也さんの言葉を見返したくもなりました。





最初の方でも書きましたが、これは考察ではありません。だからここまで書いてきたことはこの作品の正解や答えでは決してなくて、私個人の感想です。

私もこの作品の中にわからないことがまだたくさんありますし、整理がついてないところもあります。でも、本日何回か書いてきましたが、私は辻褄を合わせるのは得意なので、自分の中の感情に都合よくなるように解釈してるだけのところも正直たくさんあると思います。笑


この作品は、一人一人違った受け取り方ができるはずだし、そこが面白い作品だと思います。

でも私みたいに6回も見る物好きはそうはいないでしょう。笑 私のように細かいところまで見るのが苦手な人も多いでしょう。
もし皆さんの感情の整理に私の感想で使えるところがあれば、ぜひご活用いただければ幸いです。

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~~あとがき的なやつ~~

本日もめちゃくちゃ長いですねぇ。
前回の美食探偵最終回の長文感想を書いた時に二度とこんな長い文章は書きたくないと思ったのに、早速それ以上に長い文章になってしまいました。笑


私は美食探偵も水曜日が消えたも、どちらも作品としてめちゃくちゃどハマりする内容で。

美食探偵が先週ようやく消化できたので、数日前から水曜日が消えたをしっかり考えられるようになり、こうやって感想をまとめることができました。


推しの演技が素晴らしいのはもちろんだけど、推しの主演作が作品としてとっても大好きなもので、私はもう毎日幸せです♡